大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

高知地方裁判所 平成5年(ワ)316号 判決

主文

一  原告と被告ら間において、原告が別紙目録記載の社員持分権中の六〇口を有することを確認する。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

原告と被告ら間において、別紙目録記載の社員持分権は、すべて原告の所有であることを確認する。

第二  事案の概要

本件は、養父中村忠義(平成五年四月二日死亡、以下「忠義」という)の包括受遺者の地位にある原告が、忠義が関与して設立された有限会社暖流(以下「被告会社」という)は、忠義の全額出資による会社であって、その社員持分権はすべて忠義の相続財産であるとして、被告会社及び他の社員持分権者に対して、自己の所有であることの確認を求めた事案である。

一  争いのない事実

1  忠義は、平成五年四月二日死亡したが、原告は、忠義が昭和六三年一二月二七日付作成の公正証書遺言により、包括受遺者の地位にある。なお、忠義の法定相続人は、原告と分離前の被告中村千賀子(以下「千賀子」という)である。

2  被告会社は、忠義も関与して昭和五二年八月二七日設立(資本金二〇〇万円、一口一万円)され、忠義が代表取締役に就任していたが、忠義の死亡後仮代表取締役として、山下訓生弁護士が選任されている。

3  被告会社の設立当初の出資者としては、定款により、被告中村次郎(六〇口、以下被告次郎」という)、千賀子(六〇口)、忠義(五〇口)、被告日比幸雄(一〇口、以下「被告日比」という)、被告高橋潔子(一〇口、以下「被告高橋」という)、被告中村舜一(一〇口、以下「被告中村」という)とされており、その出資者間の身分関係は、被告次郎は原告の父で、当時千賀子の夫(平成三年一〇月三一日離婚)であり、千賀子は忠義の子で、被告日比は被告次郎の実兄、被告高橋は、当時忠義の内縁の妻で、被告中村は忠義の従兄弟の子という関係にあった。

4  その後、出資者名義とその所有口数は変動を重ね、忠義の死亡前ころの出資者名義は、原告、千賀子、忠義、被告会社を除く被告ら七名であり、その所有口数はいずれも二〇口であった。

5  右各二〇口のうち、原告が千賀子、忠義分を含む六〇口を有することは被告らも認めるところである。

二  原告の主張

忠義は、昭和三八年ころより、高知市の繁華街である帯屋町で土地建物を所有し、喫茶店とスナックを経営していたが、昭和五二年九月ころ、旧建物を取り壊し、鉄筋コンクリート造陸屋根五階建のビル(以下「本件ビル」という)を建築することにした。そして、税務対策として被告会社を設立したが、その出資金は全額支出し、その建築資金は、すべて忠義名義の不動産を担保として伊予銀行等の金融機関から借り入れて充当した。このように、忠義は被告会社の社員権を実質的に所有しており、当初から被告らの名義を借り受け、その後も、被告会社の決算報告に当たり、税対策上、同族会社であることの判定のため、被告らの名義を借用して形式的に定款を変更して、その出資口数を変動させたりしたが、実体的な権利変動はなかったものである。

三  争点

被告会社の社員権の全てが、被告会社の設立当初から忠義の死亡するまで、忠義の有するところであったか否か。

第三  争点に対する判断

一  証拠によって認定した事実

1  忠義は、昭和三八年ころより、高知市の繁華街である帯屋町で土地建物を所有し、喫茶店とスナックを経営していたが、やがて右不動産を他に売却し、他所に土地を購入のうえ駐車場を経営したいと考えたが、被告次郎の強い勧めにより、昭和五二年九月ころ、旧建物を取り壊し、忠義の個人所有地の上に本件ビルを建築することにした(証人中村こずえ、被告次郎)。

2  本件ビルの建築に際し、将来の税務対策を考える被告次郎と法人を設立して関係者多数を役員にしていれば、一人の意思で売却されることはないなどと考えた忠義の意見が一致し、被告会社を設立することにした(被告高橋、被告次郎)。

3  被告会社の出資金は忠義が全額出資し、本件ビルの建築資金は、忠義が所有していた高知市大津所在の二筆の土地を売却して得た代金などでした預金を担保に伊予銀行等の金融機関から約五〇〇〇万円の融資を受け捻出したものであるが、隣地との関係や設計、右借り入れ手続など本件ビル建築の現実的な部分は被告次郎が中心となって行った(甲八の1、2、一一、二六、二七、三〇、三四ないし三八(枝番を含む)、四二、乙一ないし九(枝番を含む)、被告次郎)。

4  忠義は、被告会社の設立に際し、被告次郎らと相談のうえ、出資者として、自己に五〇口、被告次郎に六〇口、千賀子に六〇口、被告日比に一〇口、被告高橋に一〇口、被告中村に一〇口として、定款に記載させた。この点につき、被告次郎、被告高橋、被告中村は、忠義からの社員権の贈与を受けたものと理解していた(甲一五、被告次郎、被告高橋、被告中村)。

5  被告会社の社員総会はほぼ毎年開催され、忠義の会社状況の報告後懇親会が開かれていた。なお、千賀子、被告日比、被告高橋は被告会社の取締役に、被告中村は監査役に就任していたが、役員報酬や配当を受けることはなかった(甲一三、被告次郎、被告高橋)。

6  被告会社設立後の出資者の変更とその有する口数はおおよそ別紙変動表のとおりであるが、その変動については、主として忠義の意見で変更がなされ、その際、変動者の事前ないし事後の同意を得たものもそうでないものも混在している(証人中村こずえ、証人千賀子、被告次郎、被告高橋、被告中村)。

7  被告会社は、設立後順調に借金を返済し、昭和五七年ころからは忠義に約二〇万円の地代を支払えるようになった(被告次郎)。

二  以上の事実に基づき検討すると、忠義が被告会社を設立した目的の主要なものとして、法人を設立して関係者多数を役員にしていれば、一人の意見で売却されることはないと考えたことにあるが、その意図の裏には単に名義を借りるという以上のものが含まれていると考えるのが自然であること、被告会社設立のころの、忠義と被告次郎、千賀子、被告日比、被告高橋、被告中村との関係においては、被告会社の社員権を無償譲渡(贈与)しても不思議な関係ではないうえ、設立に協力した被告次郎に六〇口、その妻の千賀子にも六〇口と自己よりも多く割当て、その他の関係者には各一〇口として、将来の展望を描いており、これが単に名義を借りたものとみることは不自然であること、少なくとも、被告次郎、被告高橋、被告中村は、忠義の意図を了解し、忠義からの社員権の贈与を受けたものと理解していたことなどからすると、忠義は、被告会社設立の当初において、その出資者とされる者に対して社員権を無償で譲渡し、少なくとも、被告次郎、被告高橋、被告中村はこれを承諾していたものというべきである。

また、当初の被告日比に関する持分について忠義の所有であるとの証拠はなく、当初の忠義(五〇口)及び千賀子(六〇口)に関する部分は、一応忠義の持分と言えても、その後の持分の変遷は忠義の意思によってなされているのであって、忠義がその死亡当時になお六〇口以上の持分を有していたとの証拠もない。

そうすると、被告会社の設立当初から忠義が全社員権を有していたとする原告の主張は失当であるうえ、忠義がその死亡当時に六〇口を越える持分を有していたと証拠もないから、被告らが認めるところの六〇口についてのみ請求を認容し、その余は失当として棄却することとする。

三  よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 溝淵勝)

別紙 目録

一、 有限会社暖流 出資口二〇〇口

(出資金一口一万円、資本総額二〇〇万円)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例